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佐川の「歴史」をたどる軌跡 サービス−お客さまへの姿勢[2]

1962(昭和37年)〜

お客さまに支持された「迅速・確実・丁寧」のモットー。

北陸地方では歴史的な大雪にみまわれた「三八豪雪」における奮闘、また大阪では万国博覧会の開催を控えて活気づくなかでの「迅速・確実・丁寧」のモットーの実践、そして仙台での「荷物一つでも喜んで」というサービス重視の営業と、各エリアで佐川急便の存在感をアピールするサービスを展開することで、お客さまから大きな支持を得ました。

三八豪雪の被害を受けた金沢市内(1963年)
大阪佐川急便のホーム(1976年)
大阪佐川急便のホーム内作業(1976年)
東北佐川急便の外観(1978年)
東北佐川急便のホーム内作業(1978年)

北陸地方における三八豪雪時の働きぶり。

佐川急便の最初の地方拠点は北陸でした。
1960年代前半、当時金沢店で保有しているトラックは6、7台で、富山県高岡出張所に至ってはトラック1台と自転車2台を保有しているだけでした。
このころ、1962年末から1963年1月にかけて北陸地方を中心とした地域が、「三八豪雪」と呼ばれる大雪にみまわれました。
積雪量は金沢市で181cm、高岡市で225cmと地域全体が雪に覆われ、道路も鉄道も寸断されてしまうような状況でした。
各地に自衛隊が派遣され、除雪作業が進められるなか、当社契約のトラックが荷物を積んで、現地に向かいました。
金沢店では冷蔵庫のように冷え切った店舗で、いつ着くかわからない荷物の到着を、社員が交代で待ちました。
そして荷物が届くたび、豪雪のなかお客さまの元に配達してまわったのです。
この三八豪雪時の働きぶりによって佐川急便は、金沢を初めとする北陸地方での信頼を一挙に高めました。

「迅速・確実・丁寧」のモットーを実践。

1968年1月、大阪市東成区深江に佐川急便大阪店が開設されました。
当時の大阪は万国博覧会の開催を控え、建設ラッシュが始まり、当社の営業開拓の主戦場も大阪でした。
その大阪店では、配送の順番はそれぞれのお客さまの荷物の必要度、緊急度に応じて決められていました。
午前8時前後にはお客さまの元に届けられる荷物もあり、開店前なら事前にお聞きしたカギのかかっていないシャッターをドライバーが開いて荷物を店内に搬入し、開店後に受領印をいただきに行くケースも少なくありませんでした。
それほど当社のドライバーはお客さまから信頼されていたのです。
セールスドライバーたちは、集配の合間に「遠距離でも佐川急便でしたら、翌朝にはかならず配達させていただきます」と新規取引を勧誘してまわりました。
この「迅速・確実・丁寧」という当社のモットーは、どのお客さまにも好評で、またたく間に仕事が増えていきました。

「荷物一つでも喜んで」とアピール。

1977年11月、東北佐川急便では新ターミナルを建設し、その時点で、仙台店を核に9店舗を開設していました。
仙台では、佐川急便は当初無名に近い存在でした。
しかし、意気盛んなドライバーが階段を駆け上がり、元気よく「おはようございます。佐川急便です」と言いながら、ビルの上階にあるお客さまの手元まで荷物を届けると、誰もが「えっ、わざわざここまで持ってきてくれたの?!」と驚き、素直に喜んでくださいました。
そのお客さまの笑顔がドライバーにとって、何よりの報酬でした。
地元の運送業者は大口貨物にしか関心を示さず、配送に時間がかかるうえ、荷物もビルの入り口に降ろすだけでした。
当社のセールスドライバーは「ここからの発送荷物がありましたら、翌日到着でお届けしますので、お電話ください。一つでも喜んで集荷に参ります」と営業したので、たちまち佐川急便の評判はあがり、集荷個数も増えていきました。

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