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佐川の「歴史」をたどる軌跡 サービス−お客さまへの姿勢[1]

1957(昭和32年)〜

創業者・佐川清の飛脚業にかける思い。

佐川急便の創業者・佐川清が飛脚業をスタートしたのは1957年。
お客さまのことを考え、お客さまのためにできることを精一杯実践するという「飛脚の精神」を胸に、仕事に励みました。
そのスピリットは半世紀を経たいまでも、佐川急便にしっかりと受け継がれています。

第1号4輪トラック(1961年)
佐川急便創業の地(京都市)
当時の集配は、自転車、オートバイ、ミゼットへと近代化していった(1959〜1963年頃)

佐川清と飛脚の精神。

1957年、佐川急便の創業者である佐川清は、35歳で「飛脚になろう」と決心しました。
その佐川清を生涯支え続けたのが「飛脚の精神」です。
ある時、佐川清は問屋から大きな商品を1軒の小売商店に届けました。
荷物を届けて立ち去ろうとしていた彼が、ふと後ろを振り返ると、その店のおかみさんが必死に重い商品を持ち上げようとしていました。
彼はすぐに「気が利きませんでした」とあやまりながら、その荷物を店の奥まで運びました。
おかみさんは、たいへん喜んで何度も彼にお礼を言いました。
その後、佐川清は配達先でかならず「どこに置きますか」と尋ね、言われた場所まで荷物を運ぶことにしました。
飛脚とは、「単に荷物を運ぶだけではない。お客さまのために自分がいま、何ができるかを考え、できることを常に精一杯実践する」こと。
そんな佐川清の「飛脚の精神」が佐川急便の礎となっているのです。

佐川清のお客さま観。

佐川清が飛脚業を始めた当初、荷物を託してくれるお客さまは一人もいませんでした。
気落ちしている彼に百貨店に勤める知人が、「今日の冷やかし客は、明日のお得意様だ」と話してくれました。
「百貨店には毎日たくさんのお客さまが来店されるが、実際に買い物される方はその一部。多くのお客さまは『気に入った品物がない、予算と合わない』などという理由で、何も買わずにお帰りになる。でもそれはお客さまが買いたいと思える商品をご予算に合わせて準備できなかった百貨店に問題があるのだ。だからお買物をされずに帰られるお客さまには『申し訳ありません』という気持ちを込めて、心の底から『またどうぞお越し下さい』と頭を下げる…」。
佐川清はこの話に大きく心を動かされました。
早速、今までに営業に回ったお店の名前を書きだし、「顧客リスト」を作りました。
そして、いままで以上にお客さまのことを考え、仕事に励むようになったのです。

佐川清の責任感。

佐川清がどれほど責任感を持って、飛脚業を営んでいたかを示すエピソードがあります。
ある夜、京都の西陣にある呉服店から「どうにかして明日の午前中までに、花嫁衣装を松江市内の結婚式場まで届けてほしい」という注文がきました。
京都の呉服店の仕立てが遅れ、花嫁衣装ができあがったのが結婚式前夜だったのです。
佐川清は「わかりました」と快く引き受け、深夜、島根県松江市を目指して車を走らせました。
途中ほとんど休憩もとらず運転し続け、無事結婚式に間に合うよう花嫁衣装を届けました。
そのとき佐川清が受け取った運賃は、着物1着の小口荷物1個分だけでした。
「特別料金を払いたい」という申し出に、佐川清は「ご注文のお荷物を、お届けさせていただいただけです」と言って余分な料金をいっさい受け取りませんでした。
このような、常にお客さまのために責任を持って仕事をするという佐川清の精神は、今も佐川急便に受け継がれています。

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